文章を読めない大人たち(なぜ人は誤読するのか)

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SNSで顕著になる誤読問題

最近立て続けにあったので誤読問題について調べていました。

誤読といっても例えば「背景の読み違え」。SNSでは相手をよく知らないので、ままあることだと思うのですが、それより問題だと思っているのが「書いていないことを捏造されてしまうこと」。

立て続けにどこにも書いていないことを捏造し、いくら違うと言っても「こう言ってる!」と違う捏造された事実に執着し、聞く耳を持ってくれず、挙句の果てに「相手の読解力がない、相手が算数ができない」と言い出すケースに出会い、これはなぜ起きるのだろう?と疑問に思っていました。

これは「意見の違い」とは全く異なる性質のものだと思っています。

調べていると、これはなるほど!というnoteを見つけました。

文章が読めていない人と読めている人の読み方が違う

あそび家まなびさんという塾講師の方のnoteです。

文脈を読むということ

文章を読めない人にはこのように文章が見えているというのが分かりやすく書いてあります。

接続詞が抜けていることから、拾った単語で自分に都合の良い文章が頭の中でできてしまうんでしょうね。

背景の読み違えや価値観の違いから生ずる思い込み

文章そのものの誤読の他に、背景の読み違えや価値観の違いから生ずる行き違いもこれまた良く起きることですね。

文章さえ読めていれば、「背景の読み違え」はお互い説明することで解消することができると思っています。

SNSであればお互いに対するベースとなる情報量が少ないので、これはままあることかなと。

そして解消できるものだと思っています。

難しいのが価値観の違いから生ずる思い込みですね。

例えば、私は兄弟がおりますが、知能が若干世間一般よりは高めと判明している私と違い、ごくごく普通の知能の持ち主です。

一般的には「頭がいい、勉強ができる」とか、「頭が悪い、勉強ができない」という言葉で言われることが多いですが、兄弟自身も事実として、あくまで兄弟との家族内の比較として、さくさこは頭が良く、自分はあまり頭が良くなく勉強が得意ではないという自覚はあります。

これは私たち兄弟姉妹での共通認識です。家族内、身内内でも同様ですね。

ただ、それは「単なる事実としての共通認識」で、私や兄弟の「知能という一点をみた事実であり、人間としての価値をはかるものではない」という共通認識もあり、そこで価値の優越をつけるものではないという共通認識もあります。

兄弟自体もそのこと自体にコンプレックスを持っているわけでもありません。

話題として腫れものに触るように避けることでもなく、普通に会話の中に出てきます。

私が「運動神経が悪い」というのも単なる客観的事実で、そこを認識した上で大人になってから、いくつかのスポーツを習ったりしてきました。(本当にダメだったのもあるけどw)

音楽も得意ではないですし才能皆無なのも自分でわかりますが、これから何か一つ身に付けたいと思っていて、老後に向けての目標です。(ちなみに過去にも習ってます。身になってないけど)

若干音痴でもありますが、カラオケでは進んで歌うし、300人くらいの前で歌ったこともあります( ̄▽ ̄)

ダンスも得意ではないですが、好きなのでいくつか習いましたし、今後は社交ダンスやりたいなぁと思っています。

「自分は〇〇が苦手である」ということと「それをやらない」というのは自分にとっては別ですが、「〇〇が苦手」と言うと、「苦手という思い込みでやらない!」と思ってしまうのは、その人の価値観そのものなのかもしれません。

私は苦手なことは、プロの指導をしっかり受けたり、他の人より訓練を有する必要はあるが、それを楽しむことはできると思っていますし抵抗感はないですね。

自分もまたこの価値観の違い、認識の違いは思い込みで判断しないように気を付けなければいけない点ですね。

行き違いがあるとどんなパターンかな?と考えるのがなかなか楽しいものです(*’ω’*)

(この辺がNTPぽいw)※MBTIのNTP型はTi機能を有するせいか分析大好き。

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