最近ちょっと考えていること。
社会性とはなんなのか?
最近日本でもホームスクーリングをされる方がちらほら増えてきた。
海外在住のギフテッドのお子さんを育てている方ですが、はやり社会性とか協調性はどうするのだ?と問われることがあるようで。
私も居場所は大事だと思うんだけど、そんなに学校って大事なのかな?と思ったりします。
特にギフテッドの子どもにとっては同年代の子どもとは話が合わないことも多く、年齢にこだわる必要もないし、年齢にこだわることで、本人が疲弊してしまうのであれば元も子もないと思っています。
社会性と同調性がごっちゃになってる気がして仕方ありません。
社会とどう向き合うのかはそれぞれの役割を果たすかどうか
最近はこう考えています。
私のTwitterのフォロワーさんは藤川徳美先生の藤川理論実践者が多いです。
藤川先生って、世間一般でいえば変わり者の部類だと思うんですよ。
藤川先生が医療ガイドラインに従って、医療業界の常識に従って、社交性を磨くために毎日飲みに行って、週末ゴルフをして(それが悪いってわけじゃないですけどね)という人だったら、私も多くの人もこんなに元気になって今いないのでは?と思います。
良くも悪くも人間って関わる人に影響を受けますし。
藤川先生は学者・研究者タイプといいますか、非常に独立した考えを持たれていると思います。
患者さんを治したいという探求心が根底にある強い社会への信念から、栄養療法を導入し、それを一般に公開しています。
「社会のため」という綺麗ごとで、自分の欲にまい進しているよく最近見かける人たちよりも、よっぽど社会のことを考え、社会性が高いと思うんです。
社会性と同調性と承認欲求が混ぜこぜになっている
確かに人と人とのコミュニュケーションは、我々が集団で生きる生き物である限り必要なことです。
しかしながら、よく言われる向社会性行動って、実に表面的な部分に終始しているなと思います。
一見 向社会性行動 として善と思われる行動って、実に自己の承認欲求に基づいたものも多く、それ自体が悪いものではありませんが、それぞれの役割ってあると思うんです。
社会性をはぐくむというのであれば、自分が社会とどう向き合っていくのかよく考え、自分と違う社会への向き合い方をしている人を尊重することが大事なのではと思います。
それが人間と動物の違いなのでは?と思いますし、特にギフテッドにとっては非常に重要な部分になるのかと。
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